生前に撮る遺影写真

遺影写真

私が「遺影写真」に意識が向いたのは、親しき友人からの突然のがん告知や死が大きな理由となっています。また著名人の闘病ドキュメンタリー番組内容が深く心に響くようになり、「がん」の存在が他人事では無く自身や大切な家族の「死」について考える時間が増えました。

人は「死」と向き合う時が必ずやってきます。逝く人もご遺族も「死」という人生最後のゴールと向き合って準備をすること、いわゆる「終活」として財産相続や遺言書、遺品整理と同様に「遺影写真」の準備も忘れてはいけません。

遺影写真

ドキュメンタリー番組が組まれるほどの著名人は写真撮影の機会も多く、いざ遺影写真が必要となった時はどれにするか悩んでしまうほど山のように候補の写真があることでしょう。しかし、一般的に考えると写真撮影の機会はとても少ないのではないでしょうか。

遺影に適した写真が無く、やっと見つけた写真は日常的なスナップ写真。まずはスキャンして画像データにした後、拡大し合成処理を行った遺影写真は画像が粗い「遺影写真」になってしまうことも多々あります。「死」という人生最後のゴールを飾る「遺影写真」は、ご遺族(故人を知らないまだ生まれぬ親族も含め)に必ず必要です。

生きるための遺影写真。

「遺影写真を撮りましょう。」

遺影写真

そんな言葉をお客様に投げかけることに私はつい最近まで勇気を必要としていました。その事実が「遺影写真」のイメージが縁起が悪いことを裏付けしているように感じます。ポジティブな気持ちを持っていただけていなければ、それはただの縁起の悪い言葉だと受け取られてしまうでしょう。「終活」の必要性が認知されてきている現在でも「遺影写真」に対して縁起の悪い印象を持つ方が多いのではないでしょうか?

「死」は最大の恐怖であることは否定できない事実だからこそ、きっとこの先何が起きても「遺影写真」が縁起の良いものにひっくり返ることはないでしょう。しかし、「遺影写真」を撮ること、つまり「死」を意識することで前向きになることがあることも事実です。

遺影写真

つい先日、沖縄の生年祝い(トゥシビー)のお祝いの場で85歳のおばあさまから「遺影写真」のご依頼をいただきました。数年前からずっと着物に袖を通して「遺影写真」を撮りたかったそうです。

「あの世に持っていく写真だから、しっかり頼むね。」そう伝えられた瞬間にハッとして、目的意識もありポジティブな気持ちを持つ被写体を前にしても、その重責感から浮き足だってしまう私がいました。

遺影写真

後日、「遺影写真」の感想を肌で感じたくてご自宅へ伺うと、手渡した瞬間に歓喜の声をあげて喜んでくれました。自分の夢が叶ったと一生懸命に私に伝えてくれて、周りにいたご家族様もその様子を見てみんな手を叩いて喜んでくれていました。その光景から縁起の悪い「遺影写真」のネガティブイメージを感じるどころか、喜びが優っていました。そう、なんだか前向きになれたのです。

「今度は90歳で、また撮りましょう。」

私は遺影写真に対する縁起の悪い印象を払拭してポジティブな気持ちでおばあさまに伝えることができました。

遺影写真

「あの世に行くのはまだ早いねぇ〜。」

その時に見せてくれたおばあさまの笑顔とまだまだ長生きしたいという願いは、私の「遺影写真」に対する思いを後押ししてくれているように感じます。そして「遺影写真」に対するイメージも少しずつポジティブになってきているように感じた瞬間でした。

祖母が与えてくれたカメラマンへの道

実は私がカメラマンを目指すと決意したきっかけも「遺影写真」なのです。

大阪で一人暮らしをしていました大学2回生の頃。熊本に住む祖父母が2週間ほど実家の三重県に来てくれた時に合わせて、私も帰省した時のこと。黄色い花がたくさん咲いた庭に祖父母を誘い出して座らせました。カメラの技術は趣味に毛が生えた程度だったのですが、プロが使うほどの中判フィルムカメラ(PENTAX645)を使用していました。仕上がった写真は言うまでもなく、美しく優しい表情の祖母を写し出してくれて額装して熊本の祖母の自宅へ郵送しました。

それから何年か経った頃、祖母の訃報を受けて新幹線に乗って熊本へ。

葬儀場に入ると真正面に見覚えのある写真が真っ先に目に止まりました。それは私が撮った写真がそのまま遺影写真となっていたのです。どうやら祖母が写真を見て、遺影写真にして欲しいと口にしていたと親族から聞きました。涙が目に溜まりその写真を直視できずにいましたが、心の中は嬉しい気持ちが優っていたのを今でも覚えています。「祖母が亡くなった時に嬉しい気持ちになるって不謹慎だな。」とも思いながら、当時大学2回生の私はこの不思議な気持ちを誰にも共有できぬまま笑いながら泣き、カメラマンになると誓ったのです。

私のカメラマンとしての原点は「遺影写真」にあります。あれから約20年を重ねた今の私には、社会的にも個人的にも「遺影写真」は必要とされているように感じます。それを事業として動かす力と覚悟が私にはあり、また「遺影写真」を原点とする私が撮るべきだと強く感じるようになりました。

生前に撮る遺影写真の必要性

大学生時代から写真スタジオや結婚式場、広告代理店などでアルバイトしていた私は、大学を卒業し就職先に選んだのは三重県にある結婚式場の写真事業部でした。そこでは主に結婚式の新郎新婦の前とりや結婚式当日のスナップ写真を撮影していました。同会社に葬祭部があり、時には葬儀に関係する撮影(葬儀で集まった親族の集合写真や祭壇に献花された名前を記録)の経験し、葬祭部との連携から知り得た「遺影写真」を準備するタイミングについてお話したいと思います。

一般的に「遺影写真」は葬儀会場との打ち合わせが行われる段階で、故人の写真を探すことから始まります。画像データがあれば、その画像データを葬儀会場に提出するだけです。そして、葬儀会場が画像データを加工して「遺影写真」が出来上がります。これはかなりスムーズな例です。

画像データがない場合は、プリントされた候補写真を葬儀会場へ提出します。日頃からあまり写真を撮らない方にとって、この作業はとても大変です。

実話か作り話かはわかりませんが、あるお祖父様が亡くなられた時にこんな出来事があったそうです。「遺影写真」の候補写真が若い時の写真しか無く、やむを得ず20代の頃の写真を「遺影写真」として使用したけど、喪主に当たる息子と「遺影写真」が瓜二つで会場に笑いが起きたそうです。

それはそれは和かな葬儀になり、亡くなられたお祖父様もお喜びなられたことでしょうね。もし私の身に何かったらしんみりする葬儀より笑いが起こる葬儀がいいなぁとも思います。しかし「遺影写真」は葬儀以後もずっと必要なもの。故人が出会えなかった未来の親族に「若くして亡くなったんだなぁ」と思われたり、人生最後のゴールを迎えた時の顔を見せることができないのはちょっと気がかりですね。

だからこそしっかりと「遺影写真」を生前に準備をしておく必要があると感じます。

早めの終活で変わる人生

おそらく「遺影写真」を撮ろうかな?そう考えた方は、自分自身や家族の「死」について少し意識が向いたのでは無いでしょうか?

私も「遺影写真」を事業として行う必要性を感じたのは、知人のがん告知や訃報を受けて「死」について意識が向いたからです。また自分のカメラマン人生のきっかけとなった祖母の「遺影写真」もとても影響しています。まずは社員の家族から撮影してみようと思い、声をかけるけど前向きな返答は返ってきませんでした。理由を尋ねると、言い出しにくいからだそう。そりゃそうですよね。親の「死」を意識して「遺影写真」を撮ることなんてなかなか言い出せないでしょう。

でも必ず訪れる人の「死」。そこに向けて準備をすることの大切さを感じて欲しい。

この「遺影写真」を事業として行うことを考えた時「死」について考えていました。余命を意識した時、きっと誰もが動揺を隠し切れないでしょう。こんなことを書いている私自身、受け入れるのにすごく時間がかかるだろうし、受け止め切れないかもしれません。自らの「死」を意識すれば、自分のためはもちろん残されるもののために余命の生き方が変わるのでは無いでしょうか。それがおそらく一般的な終活の開始時期でしょう。そんな期間の猶予も無い交通事故や突然死は終活ができません。でもどうでしょう?これまでの終活の開始時期を10年20年と早めてみませんか?またまだまだ元気だけど自分自身や大切な家族の「死」を日頃から定期的に意識して、人生最後のゴールを迎えることに目を向けてみましょう。すると今日からの生き方も変化して、より豊かな人生を歩んでいくことができるのでは無いでしょうか?

「死」は自分自身だけのマターではなく、残される遺族のマターでもあります。また「死」は縁起の良いものではありませんが、できる限り良い形で「死」を迎えることができるようにする終活は人間だけができることです。とても簡単な言葉になってしまいますが【勇気と愛情を持って「死」と向き合いたい】と私は思っています。そして、嫌われても怒られてもいつかは必ず必要とされる「遺影写真」を撮影し続けたいと思っています。

ヘアメイクもおすすめ

女性は幾つになっても美への関心は高いものです。いつものメイクでいつもの服装で撮るのも良いですが、いつもより綺麗な衣装でヘアメイクをしても良いのではないでしょうか?ご希望の方には、派手すぎず地味すぎない自然なメイクをphoto studio ouchiのヘアメイクスタッフがご提案いたします。

「遺影写真」の撮影をきっかけにさらに美への関心を高めて、さらに生き生きと元気に生活していただくことができるよう願っています。

お問い合わせ

私のカメラマンとしての原点は「遺影写真」にあります。あれから約20年の時を重ねた今の私は、社会的にも個人的にも「遺影写真」が必要とされているように感じます。それを事業として動かす力と覚悟が私にはあり、また「遺影写真」を原点とする私が撮るべきだと強く感じるようになりました。

ぜひ私に「遺影写真」を撮影させてください。私の命が続く限り、祖母が与えてくれたカメラマンの道を走り切りたいと思っています。お問い合わせは公式LINEもしくは、直接お電話(0989885362)でお待ちしております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。